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唐突ですが、皆さんは野球の球を時速140kmで投げれますか?
恐らくそんなことができる人は格闘技界には殆どいないと思います。 もしそんなにたくさんいたらプロあがったりです。 でも打つ方ならどうでしょう? あるTV番組で、ごく普通の野球少年(10歳くらい)が 村田兆治さんと対戦する企画がありました。 村田さんはもう50代後半で現役を引退して久しいですが、 それでも140kmのストレートを投げれることで有名です。 少年は最初、村田さんのストレートにまったく反応できませんでした。 小学生で140km投げる投手など皆無で経験したことがないからです。 しかしわずか1ヶ月、140kmのバッティングマシーンで練習した結果、 村田さんの140kmのストレートをレフト前に見事はじき返しました。 私自身も中学以来でバッティングセンターに行ったら、 一番遅い90kmのボールすら打てなくて愕然としましたが、 200球ほどで140kmが楽に打てるようになりました。 140kmのスピードボールを投げるには、恐らくかなりの 才能と努力が要ると思います。でも140kmのスピードボールを 見切ることは、慣れさえすればほとんど誰にでも可能です。 特別な才能など全くいらないのです。(ストレート限定の話ですが) さて、それを日本拳法に置き換えてみるとどうでしょうか? パンチのスピードを140kmぐらい速くするのためには、 同じようにかなりの才能と努力が必要だと思います。 しかし、140kmのパンチをかわすことは、やはり 慣れさえすれば才能に関わらず殆ど誰にでも可能なのです。 でも普通何も考えずに漫然と練習していては、反応速度が 身につくとは限りません。やはり野球と同じようにスピードに 慣れるための日々の心がけや専門のトレーニングが要るのです。 <動体視力をつけるための防具練習> 実力が下の者を相手にするときは、できるだけガードではなく かわして防御します。簡単に避けれるときは、余裕でかわさず、 できるだけギリギリまで引き寄せてかわすようにします。 これは野球で言えば、ピッチャーに前から投げさせることで 体感スピードを上げるようなものです。 100kmのボールを実質150kmにすることも可能です。 そしてとにかく前に出ることです。相手のパンチをかいくぐって 突きやタックルなどを狙うと動体視力は格段に上がります。 後に引きながらかわすのと前に出ながらかわすのとでは 必要とされる動体視力が全く違います。そうすることで 相手が前に出るときのタイミングも自然とつかめるようになります。 日本拳法にはせっかく頑丈な防具があるのです! カウンターを恐れず相手の攻撃をかわして前に出ましょう! <かわし技練習> かかりは、ひたすら相手に攻撃を仕掛けていきます。 それを受けはひたすらかわすのです。 かかりは最初ゆっくり攻撃し、相手が反応できるのに合わせて スピードを速め、やがて前挙動の小さい早い攻撃をしかけます。 攻撃のパターンも最初は少なめにし、段々と増やしていきます。 上半身だけでかわそうとせず、足腰を柔らかく使いましょう。 様々なかわし技を駆使しましょう。(潜り身、引き身、開き身・・・) <家でできる練習> 天井からボールをつるし、それを揺らしてできるだけギリギリでかわします。 眼球を擦るくらいギリギリでかわし、目をつぶらないことがコツです。 ボクシングではごく当たり前に行われているトレーニングです。 最近は科学的に研究されて良い動体視力トレーニングがあるようなので、 私も貪欲に取り入れていきたいと思っています。 私が日本拳法を始めたとき、正直ケンカには結構自信があったのですが、
四段の先輩を相手にパンチが一発も当たらずショックを受けたものです。 それはきっと日本拳法の修行をした人なら誰しもが通る道でしょう。 それが数年もすると、面白いように突きが決まるようになり、 初心者のパンチを見切ることなどいとも容易くなっているものです。 しかし、突きが決まるようになったのは、本当にパンチのスピードが 上がったからでしょうか?初心者の突きが見切れるのは、 本当に初心者のパンチが遅いからでしょうか。 仮に初心者のパンチが時速100kmだとして、今の皆さんのそれが イチローや松井のスイングスピード並み(時速150km)にまで 上がっているとします。それで相手に当たるまでの時間はどのくらい 変わったと思いますか? ・構えから相手までの距離を仮に1mとします。 ・時速100km=秒速約28m 1m進むのに約0.036秒 ・時速150km=秒速約42m 1m進むのに約0.042秒 スピードは1.5倍に速くなったのに、到達時間はわずか 0.018秒しか変わっていないんですね。 ちなみにまばたきの速度は0.25秒と言われています。 つまり、パンチが当たる、当たらないという点においては、 この程度の差異は殆ど影響を及ぼさないということになります。 (威力は1.5倍×1.5倍で2.25倍になりますが) それなのになぜあなたのパンチは初心者に簡単に当たり、 初心者のパンチは簡単に見切ることができるのか? 答えはもうわかりますね。 あなたのパンチの前動作が小さくなったために初心者は避けることができず、 あなたが相手の前動作を見切る能力が上達したために初心者のパンチは まるであなたに当たらないわけです。 つまり前動作をどれだけ小さくできるか?どれだけゼロに近づけるか? という点が、拳のスピードそのものよりずっと大事ということです。 パンチの速度を速くするには、手のスピードだけでなく、 「パンチを打とうと思ってから、相手に当たるまで」という トータルの時間を小さくすることを意識することが必要です。 「そんなことはわかっている」と言われる方も多いかと思います。 日本拳法では最初から口をすっぱくして「脇を閉めろ」と言われますし、 実際上級者になるにつれ、自然と前動作は小さくなっていくものです。 しかし、前動作を極限まで小さくすることを常に意識的かつ重点的に考えて 稽古をしている人は滅多に見かけません。逆に手の動きそのものは速いのに 簡単に見切られてパンチが全く当たらない人はやたらといっぱい見かけます。 前動作を小さくするために私がやった練習は、とにかく鏡を見て練習することです。 鏡の自分のスキに向かって攻撃するのです。 鏡の自分に勝つことは永遠に不可能ですが、それを可能と思い込んで練習することに 意味があります。これによって前動作(相手に見切られるような悪い癖)を かなりの部分、矯正することができます。 そしてもう一つ、私が考えた練習に「その場本取り練習」というのがあります。 お互い足を止めた状態で、突きがギリギリ入る間合いに立ち、 仕掛け側がノーモーションで受け側に突きを入れる練習です。 <注意点> ◆仕掛け側は、面は拳を握らず触るだけにすること。 (思い切り殴ってはいけない 胴はOK) ◆仕掛け側は、フェイントをつかわないこと。 (相手を騙す練習ではない) ◆受け側は面や胴に偏ったガードをせず、中段に構えること。 (受ける方もガードのいい練習になる) ◆受け側は、なぜ相手のモーションに気づいたのか、上下がわかったのか、 具体的に教えてあげること。 ごまかしなく、純粋に拳のスピード(前動作を含むトータルのスピード)と 見切りを鍛えるための練習方法です。 練習方法に悩んでいる学生諸君などは参考にしていただけると幸いです。 ある方からメールで
「どのようにしたら力まず良い動きができますか?」という 質問を受けましたので、私なりの考えを書いておきたいと思います。 力む理由は色々あると思いますが、 だいたい下記のような理由かと思います。 ・強く殴ってやろうという気持ちが強すぎる。 ・思い切り殴った方が強い突きが打てると誤解している。 ・最初から拳を強く握り締めている。 ・間接や筋肉が硬い。 ・体軸がうまく使えてない。 ・怒り、憎しみ、ストレス解消が主な動機になっている。 ・緊張しやすい。またはすぐに熱くなってしまう。 まず、ボコボコ殴りあってストレス解消!みたいな考え方は、 日拳を始める入り口だったかも知れませんが、 できるだけ早く卒業して下さい。 負の感情は時としてモチベーションにもなりますが、 真剣勝負の際は邪魔でしかありません。 常に平常心を保つことは、勝負事ではとても大事です。 熱くなりやすいことは、ある意味才能でもあるのですが、 そこから卒業できないために、いつまでも試合で勝てず 練習で怪我したりさせたりが耐えない人をよく見かけます。 まず目標は試合で勝つことに置いて下さい。 そして実りある相手との対戦を心から楽しんで下さい。 さて、力むとなぜ良い動きができないのでしょうか? 例えば突こうするときに力んでいたら、伸びようとする筋肉と同時に 縮もうとする筋肉も強く働いてしまいます。言わばMT車の一速で アクセルを全開にしているようなもので、スピードが出ないのに 燃費ばかり食って大変効率が悪いのです。 エネルギーは(速さの2乗)×(質量)ですから、 いくらパワーがあっても、スピードのない突きには 強い撃力が生じません。例えMT車の1速で壁にぶつかっても 死亡事故になるようなエネルギーは生まれないのと同じです。 理想的な突きは、体幹部を使った力みのない突きです。 体幹を使った突きについて解説します。 例えば地球を想像してみて下さい。 地球の表面はおおよそ時速1666kmで回転しています。 しかし地球の中心、直径1cm部分の回転速度は、 およそ時速0.13cm程度です。 (実際は地軸にはズレがあるので理論値に過ぎませんが) もし地球の中心部をクシ刺しにし、そのクシを竹とんぼのように 素早く捻ったらどうなるでしょう?恐らく地表の全てのモノが 放り出されるようなすさまじいスピードが生まれるはずです。 これを人間の体に置き換えて考えて下さい。 パンチも軸運動であることは言うまでもありませんが、 体の外側にある筋肉を使って軸を回転させようとするのは 非常に効率が悪いと思いませんか? しかし体の中心部にある軸、つまり体軸を体幹部の筋肉を使って 一気に強く捻れば、それにつられて体は猛烈なスピードで 動かすことができます。 足で地面を力強く捻り、体軸を回転させ、 それに連動して体の外側にある肩が素早く回転し、 更にその外側にある拳がすさまじいスピードで 放り出されるようなイメージです。 デンデン太鼓にも似ています。 軸を素早く捻ることができれば、紐(腕)には 全く力が要らないし、入れてはいけないのです。 MT車に例えれば、足の捻りで1速、膝の捻で2速、腰の捻で3速 体軸の捻で4速、肩の捻で5速、手で6速というような加速を、 限りなくタイムラグを0秒に近づけるように行うようなものです。 そのスピードの乗った拳を、当たる瞬間に握り締めることで 効率よく強烈なパワーを生むことができます。 強い突きを速くするのではなく、速い突きを強くする感じです。 こういう力みのない突きの方が効くということを体も脳も覚えてくれれば、 自然とそういう突き方ができるようになると思います。 最初から拳を握りこむと、突くときに縮む力が働くので 絶対にダメです。それでは防御もうまくできません。 あくまでも握り込むのは当たる瞬間だけです。 しかし体幹部を捻って体全体を動かすには、 かなり地道な体幹部の鍛錬が必要です。 言わばてこの原理に逆らうようなことをやるわけですから。 (力点に力をこめて逆に作用点を動かすような感じです) 体幹部の鍛錬方法についてはまた後日書きますが、 書籍も多く出てるしネットにも情報はあるかと思うので、 そちらを参考にされた方が良いかと思います。 体幹トレーニングは全てのスポーツの基礎になりますから、 勉強して損はないかと思います。 まあそういってる私も全然できていなときが多いのが現実なんですが(笑) このような理想をイメージしながら練習していることは、初心者の方や 伸び悩んでいる選手には是非参考にしてもらえたら嬉しいです。 日拳の練習中のケガというと、その格闘技の特性から
立ち技で多く起こるとイメージしている人が多いようですが、 しかし日拳の大ケガの大半は組みで起こります。 日拳の組み技の事故率は柔道よりも遥かに高いと思います。 <日拳の組み技によって起こりうるケガ> ・頭部を床に強打(脳震盪・脳挫傷など) ・足技等で膝を捻挫する(靭帯損傷・断裂) ・投げられて床に手をつく(脱臼・骨折) ・投げられて肘や膝から落ちる(脱臼・骨折) ・体重を乗せたor手加減のない関節技(脱臼・骨折) ・過労や過負荷などによる肉離れ・アキレス腱断裂 なぜ(一日中組み技を練習している)柔道より、 日拳の組み技の方が事故が多いのでしょうか? <日拳の組み技で事故が多い理由> ・組み技に割ける時間が少ない ・受身などをあまりやらない ・体重が無差別で、ありえない体重差がおこる ・防具が重く、床に落ちたときの衝撃が増す ・指が不自由で、危険を避けにくい ・禁止技が少ない(他の殆どの格闘技では禁止されている技でも有効) ・組み技の素人同士で練習し、しかも教えられる監督者がいない こういう状態で、ただ乱取りの中で実力をつけろというのは かなり理不尽な話で、事故が多くなるのは当然です。 勝手にやって強くなれというのでは、武道とは呼べません。 なぜこんな理不尽な状況が生まれるのでしょうか? 澤山宗家の著作を読むと、日拳は殆どの人が柔道を経験しているのが 当たり前の時代を背景に作られていて、まともに教えられる監督者が 道場に一人もいないような環境は想定されていないように感じました。 日拳の組みだけで十分でないことは大前提のようです。 では柔道経験者の少ない現代において、 日拳の組み技の事故を防ぎ、レベルの底上げをはかるには どうしたらよいのでしょうか?組みに割ける時間は少ないことを前提に、 私なりに案を考えてみました。 <日拳の組み技練習の改善案> ・準備運動と整理体操に十分な時間をかけ、念入りに行う (何も考えずに過去を踏襲するのではなく、良いものを積極的に取り入れる) ・組み技をやらせる前に受身と打ち込みを徹底してやらせる (ちゃんとできるまで組みの乱取りはさせない) ・組み技の専門家を招く(技術交流する) ・柔道など組み技系の格闘技の道場にも積極的に練習に行く ・組み技だけの練習時間、練習日を作る (試合形式など、打撃と組みを一度にやるとケガをしやすい) ・体重差がある場合は加減をする(投げた後相手に乗って潰したりしない) ・畳かマットなどクッションのないところで組み技練習はしない ・後頭部にもタオルや衝撃吸収材を入れる ・鯖折り・蛙掛け・体重を乗せた関節技など、 他の格闘技で禁止されているような危険な技は 道場ルールとして禁止する 日拳の組み技での事故が減ってくれることを願って止みません。
①の文章を要点は以下のようになるかと思います。
「日本拳法においては強を求めることが一番大切である。 それは真理を求めるということにも繋がり、 人間形成を含む精神修養もそれに付随するものである。」 これだけを読むと、「強い人間が人間的にも上」と言うようにも 受け取れるかも知れませんが、決してそうではありません。 まず格闘技の強い人間が人間として必ずしも 立派でないことは誰しもが知るところですし、 格闘技などやらなくても立派な方はたくさんいらっしゃいます。 誤解されるのを封じるように、続けて宗家は②で、 「我々が求めるべき強とは、絶対性の強であり、 他人と比較しての相対性の強ではない。」 「自己の最善を尽くして練り上げた強さのことである。」と明言しています。 絶対性の強は、才能や環境や運などに左右されません。 逆に才能や環境や運などに恵まれ、一時的にどれだけ強くなり、 どんな輝かしい成績を残そうと、そこで止めてしまったら せっかく近づきかけた真理からは遠ざかり、 また別な道を探さなければならないことになります。 過去にいかに強かろうと、途中で強を求めることから離れたら、 「かつて相対性の強を得たに過ぎない」ということになるでしょう。 どんな強い人も練習しなかったら弱くなります。 年齢、体力、環境、時間、障害・・・様々な制限の中で その人にできる最善の努力を続けることこそが大切で、 (自己満足ではなく、強=理を求めた努力) それが人間的にも成長する上で非常に有効な手段であると 宗家は仰りたかったのだと思います。私はこの文章を読んで やっと宗家の「道」というものが理解できた気がしました。 この文章は、私が社会人になってもう一度日本拳法を続ける上で、 その意味を再確認させられ、とても力づけられた文章なので、 拳耀会に興味を持って下さった皆さんに是非ご紹介したかったのです。 長文・駄文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。 絶対性の強を追求する。
「練習では強を追求せよ」と言うのであるが、 しからばその今日とはどんなものを指すのか。 強を分析すると「比較性の強」と「絶対性の強」がある。 我々が追求しようとする今日は、後者でなくてはならない。 比較性の強とは、相手とか一つのグループ内を対象とする 相対的な強のことである。つまりこの強は比較によって 生ずるものであるから、強い相手に勝つ「程度の高い強」 もあれば、弱い相手に勝つ「程度の低い強」もあるのである。 従って強と言っても、比較性の強では、一概にその価値を 断定することはできない。いわゆる小術をもって 無術に勝つのでは意味がないのである。 絶対性の強とは、単なる相手や一つのグループを対象と しない強さのことである。絶対性というと、 いかにも世界無比と言うように聞こえるかも知れない。 だが意味は決してそうではない。 相手との比較は関係なく、自己の最善を尽くして 練り上げた強さのことである。言い換えると、 自己の可能限界に到達したところの強さなのである。 この強さにして、はじめて強の真の意義が 具わってくるのである。 絶対性の強をつくるにも、勿論我々は稽古に試合にと 相手に勝つべく努力せねばならない。だが単に相手に 勝つことのみで満足してしまってはいけない。 これでは、ただの比較性の強だけを得るに留まって しまうことになる。相手に勝つということは、 あくまでも絶対性の強を求めての、 切磋琢磨の手段でなけらばならないのである。 ここの意味を履き違えてはいけない。 我々はこうして絶対性の強を追求することによって、 真理の上を歩くこともできるし、またそれによって 拳法の完成が見られ、同時に人間としての品格の 形成も果たされるのである。 澤山宗家著の「日本拳法」で私が一番好きな文章は、
「第二三章 練習要綱」の最初のくだりです。 長文のため、二回に分けてご紹介したいと思います。 第一、練習に何を求めるか 練習から求めるものは、まず強である。 練習の主賓 「練習は強くなるためにするのだ」と言えば、 いかにも単純な考えのようではあるが、 実はこの素朴な考えが正しいのである。 世の中にはあたかも人間形成なのどの精神修養が 練習の主賓であって、今日などはその随順者に 過ぎないように説く者がいるのであるが、 これらこそ単純勝つ粗雑な考えといわねばならない。 ここに真実をいうと、強を追求していくところに 精神の修養が随順するのである。 ところが彼ら傍観者たちにとっては、 この随順者があまりにも光り輝くがために、 それがあたかも主賓であるかのように錯覚しているのである。 勿論我々はこの随順者も大いに歓迎するのであるが、 といってこの随順者だけを招待しても、彼らは単独では 決して来るものではないのである。 強という主賓を鄭重に迎え入れてこそ、この輝かしい 人間形成も随順してくるのである。 この意味で、練習においてはつまらぬ雑念を排し、 一途に強を求めて、汗を流すようにせねばならない。 強は真理の上に立つ 強は常に真理の上に立っている。 この支えが崩れると、強もまた崩れ去るのである。 従って強を求めるには真を求めねばならない。 強を身に着けるには、理を身につけねばならない。 真理は強の母であり、強者は心理の実践者である。 古の聖者が真理を示すに当たって、よく強を現じた という伝説があるが、これは本当のことであろう。 強を追求する者の跡には真理が積み重ねられてゆく。 この積み重ねが、人間を形成していくのである。
日本拳法の良いところの一つは、頑丈な防具のおかげで、
実力差があっても実戦練習ができることではないかと思います。 しかしそうは言っても、チーム内に実力が近い者がいないと、 なかなか切磋琢磨して実力を高めあうことが難しいものです。 実力差のある相手に加減をせずに潰したり、明らかに手を抜いてしまっていては、 決して良い練習にはなりませんし、チーム全体のモチベーションが下がってしまいます。 自分の実力向上だけを考えれば、強いところに出稽古に行けばよいのですが、 チーム力の向上という観点からは、根本的な解決にはなりません。そもそも 武道の存在意義は、実力による淘汰ではなく、志す者全員の向上にあるはずです。 (「強い奴は勝手に強くなる」では存在価値ないですよね?) やはり我々は「どうやったら安全に楽しく実力差のある相手と良い練習ができるか?」 を追求していかなくてはいけないと思います。 そこで私は「(実力が上のものが自ら)制限をつける練習」を提唱したいと思います。 それはいわば課題を持って練習するということで、手を抜くこととは全く違い、 真剣にやらなくては意味がないのです。 <制限のつけ方> ◆得意技を封印して戦う(あえて苦手な戦い方をする) 例えば蹴りが得意な人は突きのみにし、組みが得意な人は立ち技のみにします。 これによってお互い近い実力で練習することができますし、 上の者は更に隙がなくなっていくでしょう。 ◆相手の攻撃をできるだけギリギリでかわす 見切れるからといって大きくよけると、自分のディフェンステクニックや 動体視力の向上になりません。ボクシングにも天井に吊るしたバッグを揺らして ギリギリでかわすトレーニングがありますが、いわばそれを実戦でやるのです。 敢えて手を使わずにかわしたりします。 ◆激力を制限し、タイミングと形で一本取る 体力任せの技はかけない これは基本中の基本。安全性の確保のためにも絶対条件です。 体格的に勝っている相手には、力でなく技で勝負します。 ◆新しい技・難しい技に挑戦する。 (当然、危険な技は相手を見て十二分に注意しなければいけません) 練習で一番大切なことは「今までできなかったことができるようになること」 だと思います。言い換えれば「自分が今日の練習でどれだけ成長できたか?」 ということです。「限界を決めるのはいつでも自分」とは良く言われることですが。 ◆相手の得意技を引き出す 敢えて相手の得意な状況に持っていく。 ◆自分が使う技をあらかじめ相手に伝える 「胴突きしか使わない」などと宣言する。 これは相手のガードなど課題に気づかせるために敢えてそうする。 屈辱的にとられる場合があるので、相手を見てやりましょう。 この練習法の肝は、制限をつけることによって格下の相手に負けても 決して言い訳しないということです。 相手にとって格上のあなたに勝てたことは、きっと自信とモチベーションの向上に 繋がりますし、そうしていけば自ずから実力をつけていくものです。 負けて言い訳しないということは非常に難しいことですし、 私にもあまりできていないかも知れませんが、 自分のつまらないプライドやストレス解消<<チーム力の向上<<日本拳法界の向上 という優先順位を自分の中で確認しつつ、やせ我慢しながらやっている感じです。 まぁでもそれが容易にできないぐらい負けず嫌いだからこそ、 格闘技を長年続けてこれたのかも知れません(笑) 練習で負けた悔しさは、口ではなく試合で実力を出し切って晴らそうと いうように、逆にモチベーションに変えたりして練習しています。 皆さんが良い練習をされ、日拳全体が上がり盛り上がっていくことを願っています。
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